人間が音楽から受け取るものとは? 音楽は、古代ギリシア・ローマ時代に人が生きていくために必要と提唱された「リベラルアーツ」と言われる学問「自由7科」の一つとされています。 リベラルアーツとは、人間を様々な束縛から自由にするための知識や、生きるための力を身につけるための手法で、言語系3学(文法・論理・修辞)と数学系4学(算術・幾何・天文・音楽)で構成される自由7科として定義されたものです。 米国ではハーバード大学や、理系の最高峰とされるマサチューセッツ工科大学(MIT)でもこの考え方の下で、音楽学科の授業が行われていて、MITでは全学生の4割が履修し、年々その数は増え続けているようです。 米国のGAFAを中心としたIT企業が次々とイノベーションを生み世界をリードしてきたその底力の背景には、音楽、その中でも特にクラシック音楽を深く理解することを学んできたという背景があるではないかと思います。 なぜなら、クラシック音楽を学ぶことは、多様性を前提としながら、世の中の変化への気付き、その中から本質を見抜き、変化させ、創造し、人や社会に対して表現して伝え理解させる様々な力を育むことに繋がるからです。 日本でも大学の中にはリベラルアーツの教育を行っているところもありますが、まだまだ一般教養の域を出ないものであり、さらにその中で「音楽」については少なくとも米国の大学のようにリベラルアーツの核となる学問とは位置づけられていないように思います。 音楽は、答えは数学のように一つではなく、人間には様々な感情や考え方とそれぞれの人生がある、そこにある正解は多様であることを理解することができるものです。 そして、「音楽は言語よりも遥かに直感的・本能的に人と人を“心”から結び付け、“共感”しあうための重要な手段である」(大黒達也東京大学次世代知識科学研究センター准教授)とも言われています。 今話題のChatGPTのようなある意味で人間の能力を超えるAIがこれからも加速度的に進化していき、AIが人間を超えると言われるシンギュラリティーがすぐそこに来ている時だから、「それでは人間とは何か?」「人間はAIと違い何かできるのか?」という極めて重要な問いに答えを出すためには、人間というものを深く知ることが求められているのです。 そして、人間を深く知ることで、どれだけAIが進化が間違った方向にいかないようにするのことができるというのが、MITが音楽教育を重視している理由なのです。(MITの音楽教育については、菅野恵理子氏の著作「MIT音楽の授業-世界最高峰の創造する力の伸ばし方」にて詳細にレポートされていますので是非お読みください) 今こそ我々は、人間というものを深く理解する必要があるのです。 このような根本的な考え方が日本の大学教育にも企業の人的資本経営にも欠落していると私は思います。 だから、日本のリカレント教育やリベラルアーツを学ぶ中で、音楽は片隅に追いやられてしまい、表面的に歴史や政治やビジネスの方法論を学ぶというだけの”致命的”に薄っぺらな学びで終わってしまっているのです。 そういう観点で、日本は人口が激減するというだけではなく、子供から大人まで教育に対する思想・内容が決定的に米国に劣後していることが人口減少の問題よりも深刻ではないかと危惧しています。 クラシック音楽は、ただ癒されるものだけでのものではなく、人間にとって古代から必要とされるとても大切なものを届けてくれるものなのです。 しかし、その“音楽が届けてくれるものが一体何なのか?そして、我々人間は、音楽からどのような気付きを得て、どのように生かしていくことができるのか? そうしたことを様々な学びの場だけではなく、様々なアウトリーチの機会や演奏会においてもそのエッセンスを取り込んだプログラムにしていくことにより、今の学校教育・社会教育では得られない人間教育を子供から大人まで全ての日本人に届けたいと思います。