子供の成長に音楽教育は如何に必要か?
子供の教育に親はとても熱心で、学習塾のみならず、サッカー教室・野球教室・水泳教室・書道・絵画教室・ピアノレッスンなど子供たちにとっては全く遊ぶ時間のない過酷な毎日を過ごしています。
ただ、親たちはそれぞれの目的をよく考えて学ばせているでしょうか? 友達が学んでるから・・・ということで習わせていることも多いのではないかと思います。
スポーツ系の学びは、体力をつける以外に、チームワークや競争心を養う、戦って勝つ達成感を体感する、基本的には戦って相手に対して優位に立つことを目的としたものです。
しかし、今我々に求められていることは、そういうことなのでしょうか?と私は疑問に感じます。
一方、音楽、特にクラシック音楽を学ぶことは、感性を高め、創造性を豊かにし、相手の心を読み、自分の意思を表現し相手に伝え、協働して音楽を作り上げる形で達成感を体感するものです。 そして、答えは一つではなく、様々な多様性を認め合うことが求められる学びです。
特に今の日本に必要なことは、音楽でこそ養えることばかりなのではないでしょうか? しかし、こうした学びの大切さを小中学校や音楽大学で学んでいるでしょうか?
合奏の練習では、単に楽譜通りに弾くことが求められるのではなく、その音符に込められた作曲家の意図を想像し、解釈し、それを表現し、その意図が聴く人に伝わり理解されることが大事であることを学びます。
答えは一つではなく、指揮者や演奏家によって様々な解釈と様々な形に表現され、どれが正解かということはなく、その解釈の違いを聴く者が楽しむことができる、それが音楽なのです。
AIが人間と対峙し、凌駕すると言われる時代にあって、答えは様々でその違いを楽しむという人間の本質こそが大切にされるべきという、MIT(ITの世界最高峰のマサチューセッツ工科大学)で教えられていることを私たちはよくよく理解するべきだと思います。
子供たちが学ぶべき本来の音楽教育は、勿論、まずは音楽に好奇心を持つことですが、一般的に行われている音楽教育は、生の音楽を聴き、楽器の構造と音の種類を知り、作曲家がどんな人でどんな曲を作ったかを知り、楽譜の通りに楽器を弾き、みんなと一緒に音を合わせることに留まっていると思います。
しかし、音楽を学ぶことの本質は、そこからにあるのです。 楽譜を解釈しながら作曲家の意図を想像し、独自の解釈を加えてそれを表現し、合奏する者達と意見しながら皆で一つの音楽のストーリーを創り、それを相手(聴く者)に伝えるというプロセス、そして聴く側もその多様性を耳を澄まして聴き取ろうし、自分の感性と照らしながら愉しみ、作曲家や演奏家が何を表現し、伝えたかったのかを想像するというプロセス、こうしたことがこれから人間が生きていくために極めて大切なのであり、これは音楽でしか学べないことなのです。
しかし、このように、「音楽から人間が生きていくために大切なことを学ぶ」ということを教えている講師が日本にどれだけいるでしょうか? こうした音楽の本質をレッスンの中で断片的に教えている講師はいると思いますが、それを主眼として体系的に教えることができる講師はほとんどいないでしょうし、また学ぶ仕組みもありません。
こうした人間が生きるために必要ことを学ぶ音楽教育(それはまさにリベラルアーツ)を提供する「ティーチング・アーティスト」とその学びの場を広げていくことが求められていると思います。